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日中友好後楽会
第13回「日中文化講座」開催 テーマは「遣唐使・井真成の実像」
当財団は(財)かながわ学術研究交流財団と共催で2006年3月4日(土)湘南国際村センターにおいて「日中文化講座」を開催した。
当日の講師である国学院大学教授鈴木靖民氏は、2004年に中国西安市で「井真成」と呼ばれる遣唐使の墓誌が発見されて以来、現地での調査や各地で開催される古代東アジア交流史に関する講演で活躍されている斯界の第一人者。
鈴木教授の講演を楽しみに集まった参加者は、遣唐使を研究テーマとする専門家などを含め約70名。葉山周辺の老年層が多かった従来の講座とは雰囲気も参加層も一味違ったものであった。講演内容も日中双方の学界での論争を念頭に置きながら、井真成の入唐、改名、出自の解明に重点を置いたもので、「井真成とはどんな人か」に迫る興味深いものであった。
墓誌によれば、井真成は734年、唐都長安において36歳で没した。現段階では学界には井真成の入唐時期について2説があり、733年(天平5年)に入唐した第10次遣唐使説に対し、鈴木教授は717年(養老元年)19歳で第9次遣唐使の一員として入唐した説をとる。
では、井真成はなぜ、どういう目的で入唐し、どういう留学生であったかについては馬一虹氏の説(遣唐使請益生という身分で入京したのであり、長期学問に努める留学生ではないという説)に注目するが、これを裏づけする資料が不足とする。
また、井真成の日本名をめぐる日本学界の諸説については、日本の新聞にも紹介されたが、鈴木教授は、当時の日本名を唐名に改称した多くの事例から推定し、井上忌寸真成(イノウエノイミキマナリ)とする。そのうえで、出自については、忌寸の姓は渡来系にみられ、渡来系の家系には命名に当たって中国風に、信や成の文字を付けることが多いのも特徴であったとする。また、遣唐使や遣隋使の留学生や留学僧には、代々相伝される言語・学芸・技術・技能など独自の素養・知識を身につけていたり、文化的環境にあったりということから外交にも携わる場合の多い、渡来人の子孫が選ばれることが少なくなかったという。
「井真成の墓誌は字数が少なく、情報量も多くはないが、今回の墓誌発見は、日本の遣唐使の目的や留学生の特徴、唐に滞在した日本人の生活や待遇、そして日本と唐の交流史の細部を照らし出すきっかけをつくった意義は大きく、広くアジアの人々と文化、モノの交流史を研究するうえで記念すべき貴重な資料となった」と鈴木教授は墓誌発見の意義について位置づけ、講演を結んだ。
(総合交流部)
遠方からも参加者が集まった
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