4月は謝東さん(後楽寮326室)にお願いしました。日本語による北京放送の変遷を語ってもらい、面白い会合になりました。日本語放送の原型が1942年、延安で開局した延安新華放送局で、1日2時間日本人の女性アナウンサーが原稿を読み上げたというところから話が始まりました。このアナウンサーが2002年大連で死去したというのは、会員の皆さん初耳だったのではないでしょうか。国交正常化以前はほとんど唯一の日中交流メディアの観があった北京放送ですが、日本のマスコミが北京や上海に支局を開設し、インターネットが発展した今では、北京放送の番組制作も大きく変貌したとのことです。現場から取材者が直接レポートするやり方は、リスナーからの反応も大きいそうです。今後はスタッフが番組作りの職人から、論評ができるジャーナリストに変わらねばならない。これが謝東さんの締めくくりでした。 (2005.4 後楽会事務局)