後楽会恒例の中国旅行は、今年は「貴州省に少数民族を訪ねる旅」がメーンテーマでした。 貴州省はあまり観光客が行かないようですが、なかなかどうして、紅楓湖、黄果樹、天星橋、竜宮などは、世界自然遺産に登録を申請しているというのが、十分にうなずける内容を持った風致地区でした。旅行団は途中で銘酒・茅台酒の故郷、茅台鎮へ向かうグループと、凱里市の苗(ミャオ)族村訪問グループに分かれました。茅台鎮グループに参加した岩垂道子さんと、凱里グループの宮崎章夫さんに「参観の記」を書いていただきました。旅行団は貴州省のあと、香港、マカオを訪ねました。マカオで少々稼いだ人もいたことを、旅行団の名誉のために付け加えておきます。 (2005.11 後楽会事務局)
甘露甘露の歓迎酒 後楽会訪華団凱里グループは、茅台酒を求める一行と別れて、山深く住む苗(ミャオ)族を訪れた。雷山県中心地から17㎞にある山間村落。山を背に川に臨む。石畳の通路に向き合うようにして家が並ぶ。500戸と聞いたか500人と聞いたか定かではないが、小さな庄村であった。銀製のキラキラ揺れる冠を頂き、祭り装束の村人が、村の入り口に整列をし、笙を長く大きくしたような竹の楽器演奏で迎えられた。陶製の酒器を持った2人のご婦人が、2回に分けて注いでくれる焼酎を、2回に分けて飲み、12ヶ所に設けられた、〈酒の関所〉を通過しないと歓迎宴の会場広場に到着できない仕組みだと聞いた時には、途方にくれたが、音曲華やかに囃し立てられながら、口に含むと、甘露、甘露である。 広場では、幼児や児童が飛び回り、隠退した男性は片隅に座りタバコを吸い、女性は休みなく刺繍に余念がない。何故一緒に座らないかと聞くと、男女ともに、とんでもないとばかりに大笑いをする。多くは孫二人いるという。可愛いね、と目元が垂れるほど幸せそうだ。私も幸せになる。男女別と男女混合のダンスが終わると、客人の我々と腕を組みミャオ流フォークダンスの始まりだ。並んで 静かに踊りながら円を描いていく。暫く前まで日本の農村でも行われていた村を上げての盆踊りと同じだ。次第に共生感が湧いてくる。明代の初期に建てられた家々に囲まれた広場は、異次元の世界に踏み込んだようであったし、大昔の部落間抗争が嘘のような穏やかな雰囲気を創り出していた。将来見通しはとにかく、子供たちの表情はあくまでも天真爛漫だった。 (後楽会会員 宮崎 章夫)
茅台酒の香りにすっぽり 10月24日 貴陽から二手に分れた我々は一路茅台鎮目指して北上、遵義市を素通りし途中2回の休憩(ガソリンスタンドと小学校)、約6時間程で夕刻茅台酒工場内茅園賓館に到着しました。夕食は茅台鎮の政府側の陪食で茅台酒の乾杯がつづき大変楽しい夜でした。 10月25日 朝食前、町を歩くつもりで一歩外へ出た途端、茅台酒の香りにすっぽり包まれ、急斜面の狭い道路は工場従業員を運ぶバスとオートバイが後から後から続いて歩くのが恐ろしいほど、さすが国酒の町とおどろかされました。 午前中は工場見学。とは言え、ガラス越しの大量の壜詰、箱詰の清潔な作業所で、肝心の醸造は国営企業秘密とやらで、もっと深い谷間の煙突のみを垣間みただけでした。ロビーには1915年パナマ万博金賞受賞の茅台酒はじめ年代物の高級茅台酒が並んでいます。説明によれば、此処で生産の本場茅台酒は年間70万トン、中国内の生産は300万トンあるという分ったような分らないような数字を聞かされました。本物の国酒は此処でしか生産されていないそうで、帰りに小壜2本の箱入をプレゼントされました。見学の後、近くの 茅台文化博物館へ。年代別に展示された立派な棟が点在し、広い園内は美しく整備されています。1棟毎の中央に年代別の有名な文人武将の酒に因んだ彫像があり、中でも李白の酔余の舞は、表情も豊かで幻想的で特に惹かれました。 賓館で昼食後昨日通った道を辿り4時間位かけて遵義市の賓館へ到着、夕食はまた市政府側との会食でした。 10月26日 午前中は遵義会議会館見学。第二次世界大戦以前に、国民党と共産党と激烈な戦を繰り返した共産党指導者の本拠でした。共産党が戦局不利となり毛沢東が指導権を手にする経緯など仔細に聞かされました。居室、会議室などが、当地の財閥の広い屋敷に当時のまま残されています。あらためて中国の歴史の一端、それもあまり遠くない時代の出来事が眼前に浮ぶようでした。 見学後、又々バスで2時間位かけて貴陽へ戻り、やっと分れた団員と再会を喜びあったことでした。 (後楽会会員 岩垂 道子)