●「日中関係の難しさを体感した4泊5日―何のための訪中であったのか―」 私が今回の上海万博訪問団を通して率直に感じたのは、莫大な費用をかけた私達の訪中に果たして意味があったのだろうか、ということです。 当初、今回の日本青年上海万博訪問団は、温家宝首相の肝いりで開催されたものであり、日中友好の象徴として大々的に宣伝されるはずのものでした。しかしながら、尖閣諸島における漁船衝突問題を受け、当初予定されていた日程は延期され、一時は開催すら危ぶまれる状況でした。上海万博が終わる直前にどうにか開催にこぎつけましたが、対日感情の悪化を受け、民間人との間でトラブルが起こることのないよう、終始団体行動を余儀なくされ、常に大勢の警察官に警備されている状態でした。またメディアの取材も厳しく規制されるなど、私達の存在を極力目立たせたくないという中国当局の思惑は明らかでした。 もちろん今回の訪中により、経済発展により変貌を遂げた上海の姿を目にすることができたのは非常に有意義でしたし、復旦大学からのボランティアの方々と英語を使って語らい、日本と中国の違いについて様々な発見がありました。「よりよい都市、よりよい生活」をテーマとした上海万博においては、人間と地球環境の共存について様々な示唆を得ることができました。莫大な費用、莫大な労力をかけ、今回の日本青年上海万博訪問団を準備し、我々をもてなして下さった中国政府、外務省、および日中友好会館をはじめとする関係各所の皆様には、言葉に言い表わせないほどの感謝をしております。 しかしながら、単なる「観光」にとどまらず、日中の相互理解を促進し日中関係の発展に寄与するのが本訪中の趣旨であったところ、やはりそれ以上に、ちょっとしたことで一瞬にして信頼関係が崩れ去ってしまう日中関係の難しさを、身をもって強烈に体感しました。 今は一日も早く、日中関係両国が真に相互を理解し、将来にわたって確固たる信頼関係を築くことのできる日が来ることを望んでいます。 (大学生) ●「上海万博で見た中国の「本気」」 実施決定の通知が来た時は、本当に嬉しかった。今回私が訪問団として参加したいと考えたのは、単に万博を参観したかったという理由だけではない。まさに世界情勢を語る上では欠かせない存在である中国の経済、発展の中心である上海と、国家として総力を挙げて開催する万博を自分の目で見ることで、中国の「世界に向けた姿勢」を少しでも見ることができるのではないかと考えたからだ。しかし実際に上海で見て感じたことは、私の想像をはるかに超えていた。 上海に到着してからは、驚きの連続だった。私が想像していた以上に、上海の街は穏やかで、落ち着いていた。行きかう人々の服装や立ち並ぶ高層ビル、マンションやホテルは、テレビや新聞で見る「怖くて汚い」中国とはかけ離れていた。 そして私が驚いたのは、目で見ることができたものに対してだけではない。私たち訪問団への、中国政府としての対応である。入国から始まった警備態勢や万博訪問中の異例の待遇、最終日の帰国延期後の日程など、全てにおいて徹底された対応に愕然とし、脅威さえ感じた。あの4日間は、まるで上海という街が私たちのために動いている、そんな気さえしたのだ。もちろん、あの対応には様々な意味が込められていたであろうことは言うまでもない。しかし事実として、中国は国家としてあれだけの対応ができるということに、私は良くも悪くも驚嘆してしまった。中国という国はここまでするのか。それが率直に抱いた印象である。 万博一色で染め上げ「られて」いた街、上海に、招待という形で訪問できたことで、中国の勢いと実態をまさに「肌」で感じることができたように思う。そして同時に、自分の目で見なければ分らないことがあることに、改めて気づかされた。今回の経験をきっかけに、中国に対する興味が一層増したことは言うまでもない。もっと中国に近づけるよう、机上での学びはもちろんのこと、今後も積極的に中国に足を運んで行きたいと思う。 (大学生) ●「出会いこそが異国理解への第一歩」 「人と人との交流」それこそが国と国とを挟む海よりも境界線にも負けない絆という線で結んでくれるのではないのだろうか、そう思います。今回の訪問は、まさに一生忘れないであろうというくらい様々なことがありました。訪中に対し、大きな希望をもってその時を待つ中での中国との政治的衝突。そのような情勢での周りの反中の意見が高まっていく中で私達は日本人としてどうあるべきか、何度も考えさせられました。実際に参加を決めてからも本当によかったのか、と思い悩むこともありました。ですがやはり今回の訪問を通して、「百聞は一見に如かず」という言葉の通り私には日本人として知るべきことがたくさんありました。もちろんこの3泊4日の中で私たちは例にみない特別な待遇を受けたことはわかっています。だからこそ、私たちはこの時間をなんの問題もなく過ごすことができたのです。ですがそのような中でも私がなによりも嬉しかったのは、ボランティアの学生の人達とのたわいのない会話でした。お互いの国について話をしたり、言葉を教えあったり…そういった一つ一つの交流が私にとってなによりも思い出に残っています。一緒に上海万博を周り、一緒にご飯を食べ、一緒に笑うことができた、それこそがお互いに友情というものの大切さを改めて感じさせてくれました。また私たちが踊った花笠踊りに関しても、「wonderful!」そういって私の手を強く握ってくれた中国の方の笑顔は忘れられません。確かに、今日の日中の関係は良いものであるとはいえません。ですが、この出会いこそが私たちが見るべき本当の世界を養っていってくれるのではないのだろうかと思います。今回を機にもっと歴史的なことも含め、私は学んでいく必要があると強く感じさせられました。そのお互いを知ろうとする努力こそが将来日中の関係を良くなることへもつながるのではないかと思います。今回は素晴らしい機会を頂き、本当にありがとうございました。 (大学生) ●「大学生のエネルギー」 参加して感じた、大学生ボランティアのエネルギーについて、話をしたい。 わたしたち佐賀県団には、英語学科の生徒さんが担当としてついてくれた。彼女は英語が堪能で、韓国に留学経験があり、もうすぐイギリスへの留学が控えているという方だった。お互いの母語ではない、英語を使ってのコミュニケーションであったが、万博のパビリオンの見所を丁寧に説明してくれた。また、日本語学科の生徒さんと同じくらい、わたしたちの国に興味を持ち、さまざまな質問が投げかけられた。家族のこと、友人のこと、日本の教育のことなど、とりとめもない雑談が続いた。観光分野では『おもてなし』という言葉がもてはやされているが、彼女はまさにわたしたちをもてなしてくれたと思う。そこには、複雑な感情があっただろう。聞けば、直前になってボランティアの話があったそうだ。大学の授業そっちのけで対応してくれたにもかかわらず、わたしは当初、遊び半分で応募したようなところがあったので、恐縮してしまった。しかも、この情勢のさなかである。デモは一部の人たちのものと言ってはくれた。わたしもそう思っているが、心のどこかにひっかかりを感じている。どうか、このひっかかりから生じるほころびを、わたしたちの世代で修復しなければならないとも思う。 さて、中国の大学生ボランティアからは、前進するエネルギーを感じた。もっと成長しよう、良くしていこうというエネルギーだろう。これが、『世界でもっとも影響力のある国』の若者か。これは、同じ佐賀県団の中でも多く出た話題だ。 これ、高度成長期後、落ち着いてしまった世代が、忘れてしまったエネルギーじゃないか。 もっと上を、とがむしゃらにがんばるのは悪いこと。点数で順位を付けるのは悪いこと。みんなが違ってそれが良いこと。そんな教育で失われてしまったエネルギーではないかと、わたしは思う。 わたしは、就職して5年目になった。1年目のエネルギーは、だいぶ失われ、省エネモードになっている気がする。がむしゃらに進んでいた1年目の気持ちを忘れず、より効率的なエネルギーの使い方を考えながら働こうと感じた。 (社会人) ●「国にふりまわされて」 私たちの上海万博訪問は、普通ではなかなか思いつかないような事件から始まった。9月20日夕方、荷物が出来上がり最終チェックをしている最中、携帯電話が県庁からの電話に震えた。内容は、上記事業の延期。そう、多くのメディアでも報じられた、中国政府による国家規模の壮大なドタキャンである。当時、日中関係は尖閣諸島沖での衝突事件に大きく揺れており、前日には、官僚級の交流停止を中国政府が発表したばかりであった。もしかしたら……と思わないでもなかったが、まさか民間交流すら中止になるとは、思うはずもない。 そこから約2週間後、私たちに再度招待の連絡がやってきた。そうして、今回の出発に至る。 だが、もし今回の旅を気楽に「旅行」と呼べるのなら、それは非常に特異なものだったと思う。或いは、このような形で行かなければ……とも考えた。ともかく、良しにつけ悪しきにつけ、私は、そして私たちは貴重な体験をした。恐らく、もう一度この経験を味わいたいのであれば、何か特別な存在になる必要があるだろう。 そうした場面をいくつも見てきた。まず、バスの車窓から見たのは、公安によって止められた大量の車と人々であった。つまり、私たちが通るために。もう一つは上海万博会場で、一般とは別の入り口へ誘導されたことだった。特に、混雑を避けるため、開場前に中国館を見ることができたのは、純粋な驚きを感じた。さらに一つ、貸し切られたデパートでの買い物だった。通常10時閉店の所を11時まで伸ばし、その一時間が買い物に当てられたのだ。私たちのために。 これらを単純に「良い待遇」と考えるのは、確かに出来るだろう。しかし、こうとも考えられる。出来る限り、日本人と中国人を会わせようとしなかった、と。 私が今回の訪問で考えさせられたのは、中国における日本人の立場であった。日本人は、今回の事件から中国を油断ならぬ相手と見ているかもしれないが、それはまた、中国人にとっても同様なのである。本当の友好関係とは、そうした感情が無いことを言うのだ。私は、両国がいずれの日か、そのような関係になれることを深く願うばかりである。 (社会人) ●「国際理解について考えるきっかけ」 今回訪問した上海万博で最も印象に残っているのは、テーマ館の「たったひとつの地球」という短い映像です。人間の科学の進歩に伴う環境破壊と、その解決への道すじを描いたものでした。 草木が生い茂る豊かな自然・・・時間が進むにつれ高層ビルが建ちならび、木々が伐採され、最後は世界が滅びてしまいます。 その次の場面では、風力発電などのクリーンエネルギーを使った社会の様子が描かれます。画面に様々な国の人たちの笑顔が散りばめられ、―WE HAVE ONLY ONE WORLD―という言葉で締めくくられます。 最後のメッセージがとても印象的でした。地球はひとつなので環境を守らなければいけないというメッセージではあるのですが、もうひとつ、世界には様々な国があり、私たちはそれぞれ違う言語や文化を持ちながら、たしかにひとつの世界で生きているのだということを改めて感じました。 言われてみれば当然ですが、日本にいる時にはなかなか感じられないことでした。国際理解を深めるには、まずはお互いを知ること、そして次にお互いの違いを認めていくことが必要なのだと思いました。 今回私は初めて中国を訪れましたが、「百聞は一見に如かず」というのは本当でした。私たちが知っていることは世界のほんの一部ですが、現代社会は情報であふれていて、知っているような感覚になってしまいがちです。国際理解とはどのようなものかを考えさせられる4日間でした。 今回の訪問では、ボランティアとして参加していた中国の学生さんとお互いの国について話をする機会も多く、非常に良い交流ができたと思います。上海以外の出身の方から、「5~6年上海にいても、すべての上海語を聞き取れない」と聞き、同じ国の中にたくさんの民族が住み、異なる言葉を使う中国の大きさに、改めて驚きました。 今回訪問団の一員として貴重な経験をさせていただいたことに、心から感謝を申し上げたいと思います。 (社会人) ●「上海万博訪問を終えて」 9月、上海万博訪問団として現地へ渡航する気持ちで興奮していた最中、尖閣諸島沖での漁船衝突事件が発生した。当該事件への日本の対応を見た中国政府の強硬姿勢により中国人の日本への旅行客もキャンセル、制限された。まさかと思った矢先、出発直前に今回の訪問団視察中止に至った。翌日の日経1面にも掲載され、渦中の人となるとは思ってもみなかった。万博閉会まで残り1か月であることを考えると、二度と招待されることはないと諦めていたが、奇跡は起こった。あまりにも急な召集と決定であったこともあり、関空集合・解散には少々驚いたがめったにない機会と思い参加した。 現地に到着するや否や、どうやら我々が考えていた雰囲気と状況が異なっていることに気が付いた。 国賓ということは事実だが、完全にマスコミからの遮断、SPの数、私服警官をはじめとした包囲体制の重厚さは、ある意味で社会主義国の脅威を体験する序章だったと思う。 3日間通して最も驚きめったにない経験として記憶に残ったことは、人口10億を超える中国の中でも最も栄えている大都市上海で、交通大渋滞が日常的なこの街の中を、日本からの大団体バス20台が一列をなして前後左右警察車両に囲まれながら、交通封鎖をして一度も信号待ちもなく移動し続けたこと。前向きに捉えて「国賓対応」、後ろ向きに捉えて「隔離」という、いずれにしても徹底した組織統制力は、日本政府の脆弱さと比較して良くも悪くも際立って見えた。 万博では、中国人参列者が長蛇の列で並んでいる傍らを優先的に参観できてしまう点は、待遇されている感はあったが、マスコミとの接触妨害や中国人からの冷たい目線は非常に気まずかった。会場内の移動に使った電気バスは、非常に静かでパワーも感じ、初めて乗った感想としては電気自動車の本格的な時代がくることを告げているなと感銘を受けた。日本館やその他、万博内のパビリオンについては、この時代だからこそフォーカスされる「エコ」以外、格段目新しいものは感じなかったというのが率直な感想である。 今回の訪問を通して、改めて貴重な体験だったと思うことは万博に行ったことというよりは、日中の緊張関係の中で中国政府が用意した国賓対応としてのさまざまな事柄が、日本という世界とは全く異なり非常に新鮮に写った。スケールの大きさは会場、企業、工場、港湾、何をとっても驚きの一言で日本が今後中国と対等に勝負(渡り歩く)していくためには、どうすればよいか、何を武器に関係性を築いていったらよいか、非常に考えさせられる渡航だった。現地でであった中国の若い世代とは、国交の緊張関係を関係なくしてコミュニケートできることも確認できた。日本に戻った我々は、今後アジアで、中国と、世界で、どうやって生きていくのか。改めて、貴重な経験をご提供いただいた関係者の皆様にお礼申し上げます。 (社会人)